リュミエールの『工場の出口』(原題:La Sortie de l'usine Lumière à Lyon)から、“映画の原点”を振り返る
La Sortie De l'Usine Lumière À Lyon, I
1895年に公開された世界初の実写商業映画『工場の出口』。
ルイ・リュミエール監督の制作した短編は、3作品が存在します。
上記は「2頭の馬」バージョンと呼ばれ、工場から出て来る従業員の多くは、女性の姿が目立ち、最後に登場する馬車を白と黒の2頭の馬が引いています。
La Sortie De l'Usine Lumière À Lyon, II
上記は「1頭の馬」バージョンであり、こちらは2匹登場しているのが特徴。
また絶妙なタイミングでフレーム下手から上手に過ぎる少女も印象的です。
しかもその前には、従業員女性も下手からフレーム・インして笑顔を見せて横切り、その後に先の少女が過ぎ、その後に犬も通り過ぎていきます。
その犬が、また上手いこと再びフレーム・インして引き返してくると、画面奥から1頭の黒い馬が馬車を引いてくるところで終わります。
このように、どの点に注目をおいても、映画のお手本のような短編に思えてきます。
La Sortie De l'Usine Lumière À Lyon, III
上記の「馬車がいない」バージョンでは、工場の出口から人々の流れ中に自転車が複数登場します。
ここまで3つのバージョンを見比べてくると、疑問が湧いてくるのではないでしょうか?
それは誰ひとり、画面の奥から登場をするものの、リュミエールのいるであろうカメラの方には向かってくる者はいません。
つまりは、短編映画に登場する人物たちに何かしらの演出指示が存在するということであり、意図を持ってカメラの方に来ないように伝えられているのでしょう。
また、誰もが意識的にカメラを見ないようにしている点も、演出にほかなりません。
つまり、これをドキュメンタリー、あるいは記録と呼ぶとすれば、映像に収めるという行為は、真実のみを写すのではないということです。
制作者という“監督の狙い”、その演出が存在しているということに他なりません。
しかも、撮影時期は分かりませんが、この映像が3つ存在するということは「リテイク」をしているということです。
画家が絵画を描くように、写真や映像も、ありのままの現実の投影ではありません。
このことは現代における「スマフォの画像加工」と同じことだともいえ、見るものが如何に情報を読み取るのかが重要であると教えてもくれます。
Comments